演者
今村 晴彦 いまむら はるひこ
長野県立大学大学院 健康栄養科学研究科 准教授
東邦大学医学部 客員講師
博士(政策・メディア)。2001年に慶應義塾大学総合政策学部卒業後、ヘルスケア関連の企業勤務を経て、2013年に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程を単位取得退学。同年に東邦大学医学部助教。2022年4月より現職。
公衆衛生学と社会疫学を専門とし、全国各地でソーシャル・キャピタルが健康に及ぼす影響や、その醸成をテーマとした研究を行っている。特に地域の住民組織活動の可能性に着目しており、修士課程で取り組んだ長野県の保健補導員活動についての研究がその原点である。地域に根差した「実践的な活動」と「科学的な検証」の双方を重視しており、近年は普及と実装科学に着目して、住民組織を主体とした健康まちづくりの評価と活性化に取組んでいる。
著書に『コミュニティのちから』『サクセスフル・エイジング』(ともに共著)など。また2021年3月には、海外の多くの実装研究で使用されているCFIRの訳書として、『実装研究のための統合フレームワーク―CFIR―』(共監訳)を公開。
講演内容
「ソーシャル・キャピタルの理論を8050問題の支援に活かす―実装科学をヒントに―」
政治学者のロバート=パットナムが、アメリカにおけるコミュニティの衰退を嘆いた『孤独なボウリング』を発表して約20年が経つ。わが国においても、特に2010年以降、社会的孤立、そしてそれと関連するセルフネグレクトや8050問題が大きな課題として認知されてきた。
そうした社会的孤立の諸問題を予防し、豊かなつながりを社会のなかで紡いでいくために、ソーシャル・キャピタルが重要である。ソーシャル・キャピタルは、地域社会や組織などのコミュニティにおける「つながりのちから」を表す概念である。より具体的には、パットナムが提示した「信頼」「互酬性の規範」「社会的なネットワーク」という3つの特徴が知られている。またこれまで、結合型(内部結束重視)/橋渡し型(異質な者同士のつながり)といったネットワークの類型や、構造的(組織構成、慣習など)/認知的(信頼、規範など)といった側面などの特徴なども整理されてきた。「地域のつながりをつくる・活かす」という視点だけでなく、部署内連携や外部機関との協働といった、健康に関わる支援体制構築もソーシャル・キャピタルと関わる重要なテーマである。一方で、こうしたソーシャル・キャピタルに関する理論や知見を、行政をはじめとした現場の実践にいかに活かすかについては、必ずしも体系的な議論がされているわけではない。
演者は、近年着目されている実装科学(エビデンスある良い取組みを現場に根付かせるための手法を考える学問)にそのヒントがあると考えている。代表的なフレームワークであるCFIR(Consolidated Framework for Implementation Research)では、ある取組み(例えば8050問題への支援)を行う際に、その取組みの主体(行政組織など)に関わる内外の阻害・促進要因が整理されている。CFIRは5つの領域にまたがる39概念で構成されるが、実は多くの概念にソーシャル・キャピタルの要素がちりばめられているのである。特に重要な視点を演者なりにまとめると以下の3点になる。1.取組み主体の内・外それぞれのネットワークに目を向ける。特に、組織・部門をまたぐ橋渡し型のソーシャル・キャピタルが重要である。2.組織の根底にある文化、すなわち価値観などの認知的ソーシャル・キャピタルを踏まえた体制構築や、取組みの見せ方を考える。特に、取組みに対する関係者・組織間の認識のズレがないかを確認し、目線をあわせていくことが重要である。3.職員が心理的に安心感をもてるなど、信頼関係のあるチーム作りを心がける。そのためにリーダーが取組みに積極的に関わるなどの姿勢が重要である。
わが国では、精神保健福祉センター、保健所、市町村、地域包括支援センターをはじめ、セルフネグレクトや8050問題に関わるさまざまな資源があり、それぞれの立場がこうした視点をもつことによって、より広い意味でのソーシャル・キャピタルを活かした支援につながるのではないだろうか。パネルディスカッションでは、具体的な事例を踏まえて議論をしていきたい。
演者
佐藤 麻由子 さとう まゆこ
上越市健康福祉部すこやかなくらし包括支援センター
上席保健師長
〇上越市生まれ、上越市育ち
〇北里大学看護学部を卒業後、平成9年に上越市役所に保健師として入職
〇地域での保健活動や母子保健業務を経て、令和元年度からすこやかなくらし包括支援センターに勤務。
すこやかなくらし包括支援センターでは、相談支援業務の他、地域包括支援センター運営業務、認知症施策、在宅医療・介護連携推進事業に携わる。
〇仕事で大切にしていること:チームワーク(何をするにも人間関係が大事)と現場主義(あれこれ考えるより、現場(実態)を見ること、聞くこと、知ることが一番大切)
〇好きなこと、趣味:食べること(特に辛い物と甘い物)、ハムスター(キンクマ)を眺める、最近ランニングに目覚め、ロードレースに挑戦中
講演内容
【はじめに】
上越市では、すこやかなくらし包括支援センターが、養護者による高齢者虐待の通報・相談の窓口として、虐待を受けた高齢者や養護者に対する相談、指導、助言を行い、権利擁護業務を担う地域包括支援センターと連携しながら支援を行っている。当市における現状について報告し、高齢者虐待防止に向けた効果的な取組について検討する契機とした
【上越市の現状】
<上越市における養護者による高齢者虐待の状況>
年度 | R1年度 | R2年度 | R3年度 | R4年度 |
相談・通報件数 | 62 | 72 | 75 | 86 |
虐待判定件数 | 34 | 33 | 27 | 29 |
・通報件数は年々増加している。通報元は警察が一番多く、半数を占める。次いで介護支援専門員、地域包括支援センターであった。虐待内容は、高齢者への暴力や乱暴な介護による身体的虐待及び怒鳴る、威圧するなどの心理的虐待が多くを占めている。
・虐待を受けた高齢者の7~8割は女性であり、認知症状のある人が多かった。
・家族形態の約7割は、高齢者とその子であり、養護者側の虐待の要因としては、介護疲れ、ストレス、精神不安定、知識・情報不足が多かった。また、養護者自身も支援を要する障害等を持っていたり、生活困窮があったりするなど課題のある事例もあった。
<虐待を受けた高齢者と養護者への支援>
・虐待と判定した高齢者及び養護者への支援としては、養護者への助言や高齢者が利用するケアプランの見直し、サービスの調整が最も多く、保護を目的としたショートステイの利用や施設入所での分離を行った事例もある。
・また、養護者自身が心身や生活に課題を抱えている場合は、養護者自身の課題の解決に向け、必要な社会資源等の利用に向けた支援も行っている。
【課題と今後の取組】
虐待の要因は、高齢者と養護者それぞれの身体的、精神的、社会的、経済的なリスク要因が複雑に絡み合っており、双方を同時に支援していく事例も少なくない。当事者が支援の必要性を理解していない場合や、長期間、周囲との関わりを持っていない場合は、支援者との関係づくりから支援開始まで時間を要する。養護者がセルフネグレクト、支援拒否、生活力の低さなどの課題を抱えている場合は、地域の支援者や関係機関と連携しながら継続的な支援を行っていく必要がある。
虐待を未然に防ぐためには、早期にリスクのある世帯を把握し、高齢者と養護者の心身の状況や生活環境を適切に見極めながら支援を行っていくことが必要である。支援が必要な高齢者や養護者、家族に対し、早期に支援を行うことができるような体制やネットワークづくりに取り組んでいきたいと考える。
演者
岸 恵美子 きし えみこ
東邦大学看護学部 教授
東邦大学看護学部 学部長/大学院看護学研究科 研究科長/公衆衛生看護学研究室 教授。
日本赤十字看護大学大学院博士後期課程修了。看護学博士。東京都板橋区、北区で16年間保健師として勤務した後、自治医科大学講師、日本赤十字看護大学准教授、帝京大学教授を経て、2015年より東邦大学看護学部/大学院看護学研究科教授。
高齢者虐待、セルフ・ネグレクト、ゴミ屋敷、孤立死を主に研究。日本高齢者虐待防止学会理事、日本公衆衛生看護学会理事。日本地域看護学会副理事長。千代田区高齢者虐待防止推進委員会委員長、世田谷区生活環境保全審査会委員長等、自治体の複数の審議会委員を務める。
著書は『ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態』(幻冬舎新書)、『セルフ・ネグレクトの人への支援 ゴミ屋敷・サービス拒否・孤立事例への対応と予防』(中央法規)、『セルフ・ネグレクトのアセスメントとケア ツールを活用したゴミ屋敷・支援拒否・8050問題への対応』(中央法規)他。
講演内容
セルフ・ネグレクトの実態と対応 ―地域力を向上させるソーシャルキャピタルの醸成とは―
近年の急速な高齢化と核家族化により、高齢者の単独世帯や夫婦のみ世帯は増加しているが、家族関係や地域関係はより希薄になり、地域における高齢者の孤立が問題となっている。一方で、孤立は高齢者だけの問題ではなく、単身世帯だけの問題ではないこと、そして近年は深刻な8050問題の実態が明らかになってきた。
セルフ・ネグレクトは、「自己放任」と訳され、社会的孤立が背景や要因となることが明らかにされている。8050問題では、親世代が入院・入所あるいは亡くなることにより、残された子世代がセルフ・ネグレクトに陥ることが少なくない。筆者らは,セルフ・ネグレクトを「健康、生命および社会生活の維持に必要な、個人衛生、 住環境の衛生もしくは整備又は健康行動を放任・放棄していること」と定義し、≪主要な概念≫を、「セルフケアの不足」と「住環境の悪化」であるとし、「サービスの拒否」、「財産管理の問題」および「社会からの孤立」を≪悪化およびリスクを高める概念≫として整理した。
2022年2月に、全国の地域包括支援センター(5,271か所)の専門職を対象に自記式質問紙調査を実施し、担当しているセルフ・ネグレクト711事例について回答が得られた。その結果を分析したところ、近隣とのかかわりの程度は「ない」「あまりない」を合わせて530名(74.6%)であり、他者との交流の頻度は「月1回未満」が233名(32.8%)で最も多かった。また認知症は116名(15.3%)、認知症疑いは237名(33.3%)で合わせて約半数を占め、介護保険は303名(42.6%)が未申請で、行為が自身に及ぼす影響や結果を判断する能力は「ない」「ほとんどない」を合せて387名(54.5%)であり、サービスを利用していないが465名(65.4%)であった。精神疾患・障害に該当しないは109名(15.3%)、不明は243名(34.2%)であるが、それ以外の者は何らかの精神疾患・障害(疑いを含む)があり、医療機関を受診している者は295名(41.5%)であった。
セルフ・ネグレクトでは、認知症や精神疾患・障害を持つ者が多く、地域から孤立し介護保険は未申請でサービスを利用していない者も多い。一方で行為が自身に及ぼす影響や結果を判断する能力がない者も多く、支援体制を構築し生命の危機を回避することが課題である。
自治体の対応として、近年、いわゆるゴミ屋敷の人たちを近隣の苦情という形で把握し、本人の支援につなげていくための条例化も少しずつ進んでいる。条例化することにより、窓口が明確化され、調査権が発動できるなど、潜在的なセルフ・ネグレクト事例を早期に発見し関係機関との連携が取りやすいというメリットがある。また、セルフ・ネグレクトは予防的な関わりも重要である。セルフ・ネグレクトのリスク要因をもつ住民を把握し、定期的に見守りをし、意欲低下が起きていないか、生活が破たんしていないかを確認することが必要となる。本人がますます地域から孤立しコミュニティから阻害されることがないよう、ネットワークを構築し本人と近隣住民との調整をしていくことが必要である
「無縁社会」ともいわれる地縁の希薄化もセルフ・ネグレクトの背景としてある。昔のような「向こう三軒両隣」や「お互い様」のコミュニティを再生するために、組織的に地域力を向上させること、ソーシャルキャピタルの醸成が期待される。パネルディスカッションでは、自治体が主導するのではなく、住民に主体的に活動してもらうための方策を議論していきたい。
座長
岸 恵美子 きし えみこ
東邦大学看護学部 教授