座談会「在宅継続支援 認知症の人と家族が安心して豊かに生きるために」

演者

金子 裕美子 かねこ ゆみこ

公益社団法人認知症の人と家族の会新潟県支部 支部代表

1951年  糸魚川市生まれ
1996年  認知症の人と家族の会新潟県支部設立にかかわる
2002年  同会支部代表になり今日に至る
2006年  夫が61歳で脳梗塞で倒れ、左半身マヒ・高次脳機能障害となる
      身体障害1級、要介護3で17年間在宅介護中
2011年  実母も脳梗塞で左半身マヒになり、両親と我家で同居し、5年後在宅で父      
     看取る。母は現在98歳、要介護4。 

家族の会は孤立して一人で悩んでいる人をなくしたいという思いで発足し、43年間活動しています。全都道府県に支部があり、会員およそ1万人。認知症の人も、介護者もそれぞれの人生が充実したものになるよう「認知症になっても笑顔で暮らしたい」と願って活動しています。

発言内容

要介護になったら生きていてはいけないのですか? ―介護したくとも出来ない社会がやってくる?―

現在要介護3の78歳の夫と、要介護4の98歳の母をひとりで在宅で介護しています。介護保険のデイサービスとショートスティの利用は勿論、訪問診療、訪問看護のサポートを受けて、在宅介護の不安はありません。もうすぐ99歳の母親の看取りも自宅でと思っています。突然病に倒れ、不自由な身体になりながらも、一生懸命に生きている二人を誇りに思うこの頃です。これも介護保険があってこそ成り立っている在宅介護であり、介護職・看護職の皆さんのおかげといつも感謝しています。

しかし、国は介護保険の改悪を進めようとしています。介護保険発足時の利用料1割負担から、2割、3割負担の人を作りだし、今また2割負担のボーダーラインを低く設定し、ほとんどの人が2割負担へという案を出しています。現在我家は夫がデイサービスを週4日、ショートスティ2泊3日を月に2回か3回利用し、毎月の利用料は5万5千円から6万5千円位かかっています。これは夫の年金のおよそ3分の1にあたります。しかし、これが利用料2割となると3万円以上アップするわけで、とてもそんなお金は払えません。当然サービスの量を減らさざるを得なくなりますが、現在のサービスを使ってこそ成り立っている在宅介護で、このサービスが半分しか使えないとなったら、私は介護していく自信が全くありません。疲れ果て、思い詰めて介護殺人をしてしまいそうで、今からどきどきしています。介護をしたことのない人は簡単に、大変だから施設にお願いすれば良いと言いますが、夫の年金全部が施設の利用料に消えていってしまうと、国民年金の私の生活が成り立ちません。けれども年々歳をとり、老々介護の身ですから、いずれ施設入所も考えなければならない日が来ると覚悟しています。しかし、今でも高額な施設利用料が2割負担となったら、とても払い続けることが出来ず、現在施設で生活している人も在宅生活に戻らざるを得ません。在宅で生活できないから施設へ入所したのに、家に戻れば待っているのは介護放棄であり、死を待つだけの生活です。これが私たちの人生最後の姿だとしたらあまりにも哀れです。

また要介護2までの人を介護保険から外して市町村の総合事業にするという案も出ていますが、認知症の人の介護は要介護2までの時が一番大変なのです。身体は元気でエネルギーがあり、思いがけない行動に出て、介護者は気の休まるときがありません。介護度に応じた限度額いっぱいまでサービスを使うことができる現在の状態が、総合事業の予算額に応じて、それぞれの市町村の力量で使えるサービスの量が制限され、介護保険では当たり前の専門知識と経験を積んだ職員のサポートを受ける事ができない状況になることが懸念されます。

本日は虐待防止がテーマの学会ですが、虐待防止法が制定されているにもかかわらず、国はまるで虐待を進めているかのような施策に踏み切ろうとしています。残念ながら私にはすべてがむなしく、これではまるで早く死になさい、要介護の人は殺してもかまいませんと言われているような気になります。たとえ要介護状態になっても、最期の最期まで要介護者が大切にされて人生を全うできるよう、また家族にとって納得できる(後悔しない)最期の見守りができるようにしたいものです。少子化対策も勿論大切ですが、高齢者の社会保障費を削るなどという最悪のシナリオではなく、元気で介護が出来る状況を作っていって欲しいと強く望みます。


演者

鎌田 晴之 かまた はるゆき

公益社団法人認知症の人と家族の会長野県支部 世話人、元介護家族

35年前に東京から現在地に移住。“車椅子の方がくつろげるペンション”「まさかロッジ」と“からだの動きが不自由な人の住まいづくり「真逆工房」を兼業する事15年、その後はは工房に一本化して現在に至る。介護福祉士の養成校である長野県立福祉大学校で「高齢者と障がい者の居住環境整備」の講義を受け持っている。
およそ18年前、東京在住の母親がレビー小体型認知症の診断を受け、母と同居の妹と近居の兄と協議し、介護職であった私の妻と共に遠距離での介護を交代で行った。
長野県支部では、支部会報の編集・印刷・発送を2名の編集委員と共に担当している。認知症の人と家族の会で8年間務めた理事を今年度で退任した

発言内容

ひとりで抱え込まなくてもいいようになるには

認知症の人と暮らし始める事になった家族がまず願う事は、本人が穏やかに暮らしてくれることです。介護経験も無く、この「病気」の知識もほとんど無い中で、どうしたらいいかという戸惑いといつまで続くのかという不安におそわれながらも、介護を優先する暮らしを選ぶことになります。何か特別な暮らし方をするわけではなく、これまでの暮らしを続けようとしても、本人が不安定な時は介護する家族の身も心も疲弊します。この「疲弊」を分かち合えたり、解ってくれる存在が身近にあれば、介護が運命的な役割とは言え、引き受け続ける事ができますが、限界になるまで抱え込んでしまい、「孤立」を自覚するきっかけも持てない介護家族もまだ多いのではないでしょうか。その「きっかけ」は実の所、介護家族の身近なところに点在しています。まずはケアマネージャー、そして主治医、病院のMSW、役所の担当窓口、地域包括支援センター、社会福祉協議会の地域支援部門、介護家族の集まり等。自分の介護生活の支えになる存在にうまく出会えるのは、ほとんど偶然ですが、たとえ不十分でも独りで抱え込む介護生活を考え直すきっかけにはなります。理解者との出会いにより安心感が生まれ、介護と医療の専門職からの「病気」に関する知識を深める事で本人の言動への理解が進むことは、本人の安穏にもつながります。介護保険制度は、人が要介護状態になっても自分らしい生活を望む地域で暮らせることを保障する制度です。在宅介護に関しては、介護家族の存在を前提として成り立つような制度設計ですから、家族への保障も期待したい所ですが、『介護』そのものが継続できることを目指すだけで、介護家族の“自分らしい生活”を保障する発想は全くありません。実は日本にはまだ、介護や看護で自分の時間を費やしている人たち、最近では「ケアラー」と呼ばれている人たちを支援し、その人らしい生活を保障する法制度がありません。要介護者の人権と介護者のそれは一対のものであるべきです。ひとりで抱え込むことが、介護者を疲弊させるだけでなく認知症の本人にとっても不安な状況になるといった負のスパイラルを無くすためには、介護者の孤立を無くす社会的な仕組みが必要です。介護者が抱えている様々な問題を紹介しながら、その「仕組み」について参加者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


演者

丸山 明美 まるやま あけみ

公益社団法人認知症の人と家族の会新潟県支部 世話人、介護家族

(昭和29年生まれ)
夫と娘の介護を約20年 W介護は約8年でした。
夫は7年前に68歳で亡くなり、娘は今年の6月に49歳で亡くなりました。
今は、母(要介護1)の見守り介護中です。

発言内容

私の夫は2003年にアルツハイマー病と診断されました(当時54歳)。診断の一年くらい前から、自分でも異常に気付いていたようです。仕事で道具を忘れてきたり、手順を間違えトラブルになったりがあったようで、ある日、会社を辞めてしまいました。住宅を新築したばかりでローンもあり、何とかしなくてはと仕事を探すが、仕事をしていく自信がもてない。新たな仕事についてもうまくいかずで続きませんでした。

5年程して、今度は娘(当時34歳)が「自分も父親と同じ病気では?」と疑うような出来事があり、関東の嫁ぎ先から戻ってきました。遺伝子検査を経て家族遺伝のアルツハイマー病であることがわかりました。

そのころ2009年から2011年までが、私にとって一番苦しい介護の時期でした。夫の周辺症状がひどくなり、娘が精神的に不安定で、母の助けがあるとはいえ、肉体的にも精神的にもギリギリだったように思います。経済的にも私が仕事を辞めるわけにいかず、母には苦労をかけたと思います。

それでもなんとか二人をそれぞれせいいっぱいの思いを込めて看送りました。今振り返って、残念に思うことは、認知症になった本人の思いを十分に支えられたかということです。

娘は認知症とわかってから、夫の思いを代弁すること、自分の思いを伝えることが度々ありました。それでも、「自分をわかってくれる人、同じ病気で、同じ苦しみをもつ人と話し合いたい、相手が欲しい」ということもありました。認知症の診断を受けた早い段階で、介護サービスを使う前の段階に、話し相手や外へ連れ出してくれるボランティアがいれば、少しの手助けで、いろんな活動ができる時をもて、もっと有意義に過ごすことができたのではないかと、今になって思い、残念な気持ちになります。進行が速いこともあり、同程度の仲間を見つけることもボランティアを見つけることも難しかったです。

介護は、経済的にも、精神的にも余裕がなければ(時間的にも)、本人にやさしく接することはできないと思います。いつも何かに追い立てられているのではうまくいきません。そんな認知症をもつ本人とその家族をあたたかくご支援いただきたいと思っています。


座長

原 等子 はら なおこ

新潟県立看護大学地域生活看護学領域老年看護学 准教授
公益社団法人認知症の人と家族の会 常任理事(調査研究専門委員長2018年~)
公益社団法人認知症の人と家族の会新潟県支部 世話人(2009年~)

札幌市生まれ
旭川医科大学看護学部成人・老年看護学 助手、日本赤十字九州国際看護大学老年看護学 講師を経て2006年より現職

二人の祖母の介護と看取りをする母をみながら、看護師として学修し、高齢者、認知症の人へのケアに興味を持った。特に、現職についてから認知症の人と家族の会の活動を続ける中で、「認知症の人」の思いと「認知症の人の家族」の思いに触れ、双方の代弁と、「ともに生きる支援」を地域の仲間とともに模索している。
コロナ禍でサービスが途切れがちとなった2020年3月から現在まで,有志で毎月「散歩の会」を企画し、若年認知症の人と家族、そして認知症の人と家族の会の世話人や大学の認知症オレンジサークルの学生らとともに活動している。

【座談会のねらい】

「在宅継続支援 認知症の人と家族が安心して豊かに生きるために」

認知症の人が住み慣れた自宅で、できるだけ住み続けていくためには、いくつものハードルがあり、容易なことではない。大きな障壁の一つは「ともにいる人・家族の存在」であり、もうひとつは「認知症の症状進行に伴う本人の不安や混乱と、ともにいる人・家族の疲弊や困憊」である。

2022年度の厚労省老健事業「中等度・重度認知症の人の在宅生活継続に関する調査研究事業」の結果から、認知症の人の個性や思いに沿ったケアが受けにくいこと、混乱状態にある認知症の人を受け入れてもらえる通いの施設などが少ないことなどの課題が浮き彫りになった。そして、そこでの介護支援専門員(ケアマネジャー)への期待と対応の課題も明らかとなった。

今回の3人のシンポジストは、いずれも認知症の人の家族である(だった)人であり、在宅での生活を模索しながら支援している(してきた)人である.重複介護,遠距離介護,若年認知症の夫と子への介護など、家族によるケアといっても一つとして同じものはない。しかし、様々な経験の中で、苦悩しつつささやかな日常に喜びを感じること、共通する「家族への思い」「介護をすることへの思いや困難」がある。

住み慣れた地域で最期までともに生きていくことが実現していくなら、それは家族個々の幸せにつながっていくことなのか。それぞれが豊かに生きるためには何が必要なのか。家族による本人の思いの代弁も含め、議論したい。

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