松下年子副理事長が一地域における介護老人保健施設の現状について報告します。
一地域における介護老人保健施設の現状について
日本高齢者虐待防止学会副理事長
横浜市立大学大学院医学研究科看護学専攻
松下 年子
私は日本高齢者虐待防止学会の役員をさせていただいている関係で、高齢者虐待の困難ケースなどをテーマとした講義の依頼をお受けすることがあります。昨年11月には、長野市高齢者虐待防止講演会で「高齢者と養護者間の共依存問題」についてお話する機会をいただきました。参加者は200名を超え、職種としてはケアマネジャー(以降、ケアマネとする)、サービス提供事業所の管理者・相談員、訪問看護ステーションの看護師、福祉事務所や行政職員の皆様でした。その後、企画関係者と講談する機会を得、介護老人保健施設(以降、老健とする)の現状と今後の課題について、関心深いお話をうかがいました。現在、高齢者の入所施設として老健は、重要な立ち位置にあります。地域の方針とともに各老健の理念、目的は高齢者の人生や生活の質に大きく影響します。そこで今回、長野県須坂市にある介護老人保健施設ウィングラスの宮川様と小池様に、介護老人保健施設の現状と課題についてご執筆いただきました。地域によって事情は異なるかもしれませんが、共通する課題も少ないのではないかと推察します。なお長文の原稿を私の方で、若干短縮させていただいております。以下、ご紹介させていただきます。
「介護老人保健施設の現状と今後-長野県須坂市において-」
介護老人保健施設ウィングラス
支援相談員兼介護支援専門員 宮川 亮
副管理者 小池 富士子
介護老人保健施設のこれまでの歴史の中で、今の状況を招いた出来事として、外せないことが一つあります。老健は平成24年度の報酬改定により、大きな方針転換を求められました。というよりは、老健の原点に返るよう求められたと言うべきかもしれません。改定前は、居宅介護支援事業所(以降、居宅)・医療機関・施設で検討した結果、在宅復帰が困難と思われる方には老健に入所していただき、特別養護老人ホーム(以降、特養とする)への入所を待機することに何の疑問も感じていませんでした。家族からも「助かった」、「楽になった」等の応答があった為、家族のためにも良いことをしているという意識でいました。しかし一方で、利用者本人の「家に帰りたい」という希望に対してはどうなのだろうか、本人を中心に置いた場合、われわれの取り組みはおろそかになっていなだろうかという思いや疑念も、今振り返るとなくはなかったと思います。これについて目を覚ませてくれたのが、平成24年度の報酬改訂でした。
老健が在宅復帰支援施設に戻っていく中で、地域全体の意識が変わりました。それまでは、在宅が困難であれば特養に入所するまで老健で待機すればよいというシンプルな流れだったのが、老健が在宅に戻る為の施設に戻ったことで、医療機関や老健も老健に入所するだけでは、ケアを完結したと言えなくなりました。それどころか、医療機関自体も在宅を目指さなければ収益が減る仕組みになったため、医療機関にとって在宅復帰体制を敷く老健は、在宅扱いが可能な重要な送り先になります。医療機関や老健の居宅ケアマネは、施設完結型から在宅生活維持努力型へという意識改革を強く求められました。まさしく、地域ケアが見直されたわけです。具体的には、医療機関は退院する患者や家族に、退院支援の段階から老健は在宅復帰しなければならない施設である旨を説明した上で、老健への入所を勧めるようになりました。居宅ケアマネは、老健にいったん入所してもいずれ在宅に戻ることを想定してシミュレーションするようになり、老健本来のリハビリテーション(以降、リハビリとする)や家族休養等の利用が多くなりました。また、入所段階から在宅生活について情報共有するようになり、「老健でもこの点の改善をお願いしたい」、「老健に入所しても機能低下しないようにしてもらいたい」等の要望が多く寄せられる様になりました。老健でも、入所希望者には申し込み段階から在宅復帰支援施設である旨を述べ、その上で入所時に、退所までの支援の流れ・解決すべきポイント・帰宅後に想定される生活スタイルを説明します(改善した場合の状況と、改善できなかった場合の両状況の説明)。老健職員の意識も変わり、今いる利用者をそのまま介護するというスタイルから、今いる利用者はどのような目標を持っていて、何ができるようになりたいのか等を考えながら支援するようになりました。その為に介護・医療・リハビリ・栄養課の職員や相談員、ケアマネ等の多職種が共通の目標に向けて話合う場面が、劇的に多くなりました。
先述の通り在宅復帰が促されたことにより、老健は原点に返り、地域全体の意識改革が行われ、地域ケアが充実していく様が見てとれます。あくまでも私たち個人の考えですが、今後も在宅復帰支援が強化されて、場合によっては特養やグループホーム等のサービスにもその視点が盛り込まれることが予想されます。しかし介護報酬に関しては、在宅復帰関連の加算・体制に重きがおかれ、それ以外の分野の報酬は縮小されていく可能性があります。その時の政治情勢によっても異なるでしょうが、いずれにせよ楽観視できる余地はなさそうです。さらに注意すべき点は、この流れに乗れない方が確実に存在することです。当施設がある地域も、超高齢化の波を受けて独居高齢者、老老世帯等が増加しています。そこに、医療管理の負担や認知症による支障等が加わることで、あっという間に在宅生活に危機が訪れます。介護力がないもしくは、介護したくてもできない家庭もでてくるでしょうし、老健に終の棲家としての機能を求められる家族もいます。低収入世帯は、有料老人ホームやサービス付き高齢者住宅等のサービス選択肢を得られません。在宅復帰のみを通り一辺倒で進めていくと、セーフティネットであるはずのわれわれが、穴だらけの網になってしまう恐れがあります。今がまさに、在宅復帰ができるか否かをどのように線引きするのか、新たなサービス展開でこの問題の根本解決ができるのか等を考えるべきタイミングなのではないかと考えます。
今後在宅復帰には、本人はもとより家族の協力や、在宅サービスをアセスメントするケアマネのマネジメントが益々重要になります。定期的な入所サービスや、在宅サービスとしての短期入所を計画的に利用しながら家族のレスパイトを確保することは特に重要です。また、老健から本人が退所する際に、家族が不安や疲労を抱えた時はいつでも入所できることを伝えられれば、家族はどれだけ安心できるでしょうか。ただし、在宅復帰される方が多くなることで、老健の稼働率や回転数は安定しますが、そのような短期入所者や在宅サービスとしてショートステイを定期的に利用する方が増えれば増えるほど、新規の利用希望者の受け入れ幅は狭くなります。その結果、老健を利用できずに在宅での生活が長期化していくケースも増加していきます。仮に通所や訪問等の在宅サービスをフル活用したとしても、本人や家族の精神的苦痛、不安や悩み、介護困難な状況等をかんがみると、在宅での虐待につながる可能性を100%否定できません。必要な時に必要なサービスができることにより、安全な介護保険サービスのマネジメントが可能になります。誰もが老健を平等に利用できて、利用者の尊厳が守られることを検討することが必要と考えます。